いぬとねこのいるせいかつ

眠れない夜の頭の中を可視化

雑記

もう気にならないと思ってたし、もういいやって思ってたのになあ

好きな人に連絡して終わらせようって思ってたんです、というか思ってるんです。でもできない。どんな未来を想定しても納得する結末にならない。私が何を求めててどうなったら終わらせられるのか、見当つかないんです。私が全部知らないふりをして終わらせるか感情的になって一方的に怒って終わるか、それしか見えなくて、でもどちらも望んでいない終わり方なのです。

 

無理に終わらせる必要はないという人もいるけれど、じゃあ無理に終わらせられたこの恋の行方はどうなるんですか。恋は終わっているのに感情は終わらせない、なんてそんな残酷なことがありますか。苦しむしかないということですか、神様はいますか?

答えのない問いを誰ともわからない存在にぶつけ続けています。誰に?自分に?彼に?神に?それとも、あの人に?

 

誰も答えられないのが分かっているのに私は色んな人にこんなことを尋ねます。

「愛って何?恋ってなに?私にとっての彼は、彼にとっての私はなあに?」

困らせていることに気づいて、そして謝るのです。ごめんなさい、そんなことが分かったら誰も苦労しないね、なんて言って。そのたび私の周りの人たちは優しいので、何も言えなくてごめんねって謝ります。その繰り返し。何がしたいのかは分からないけど、確実なのは私が皆に甘えているということ。ただ私が傷ついているということを知ってほしいだけなのかもしれない、それだけの動機で色んな人を困らせ、悩ませていることを自覚してなお改める気はない自己愛の強さにもまた辟易するのです。辟易(へきえき)とは呆れてうんざりするという意味です。

 

私はこの文章を、自分の吐くこういった文章を自嘲的にポエムと呼びます。だけど人にそう呼ばれるのは嫌です。感情を隠して生きることを美とする人がいるように感情的に生きることを私は美だと思っている。だけど私のそれはそれではないのです。

私の好きな人(恋愛的な感情ではない)は「自嘲的なポエム」を好まないと言っていた。自分の感情を吐き出した、ただそれだけの文章をポエムという言葉でくくるのは気に食わない、と言っていたような気がします。一理あるなと思いながら私はポエムという言葉にくくってしまって何かから、おそらく自分から逃げています。

 

私は私が一番怖い。自覚がある衝動が、止められない反動が、抑えようとすればするほどいつかストッパーを破壊して出てきてしまう。SNSなんかなくなればいいと思いながらも救われていることがどうしようもなく気持ち悪く感じる。どこの誰かも知らない人が苦しんでいることが救いになるなんて狂っているとしか思えない。だけどわたしは正常です。みんなこんなものです。ただわたしはそれを発散させるのが苦手なだけです。そうでしょう、そうですよね、生きるのが下手くそなだけです。って言っとけば大丈夫って知ってます。異常なフリも正常なフリも両方とても上手でしょ?なのになんでこんなに生きづらいんでしょうか。神様はいますか?